源頼朝と土肥実平

JR湯河原の駅前には、源頼朝の家臣・土肥実平と、その妻の像が立っている。駅周辺は土肥氏の居館があった場所で、石橋山合戦で敗れた源頼朝が逃げ込み、隠れ潜んだ地ともいう。像は土肥実平の妻が、杉山に潜んでいた頼朝主従に食糧を差し入れたという「源平盛衰記」の記録に基づく。駅北口の山には、土肥一族の菩提寺・城願寺があり、頼朝主従七騎の木像を安置した「七騎堂」が建っている。土肥実平は、頼朝に従った家臣6騎のうちの1人であった。湯河原に潜んだ頼朝主従は、大場景親の手勢に幾度か発見されそうになったが、無事に安房へと逃れ、再起ののちに平家を討伐した。

多くの文人に愛された湯河原

独歩の湯
独歩の湯

明治中頃から藤木川に身を寄せ合うように立ち並ぶ宿は文豪たちの定宿でした。国木田独歩はしばしば湯河原を訪れ、「中西屋」で「湯ヶ原より」などいくつかの作品を残した。夏目漱石は絶筆となった「明暗」の重要な舞台を湯河原にした。芥川龍之介は中西屋に。芥川の書いた湯河原を舞台とした小説は「トロッコ」「一塊の土」「百合」である。島崎藤村は伊藤屋旅館にしばしば逗留し「夜明け前」執筆の疲れを癒した。また、日本女流文学界を代表する与謝野晶子は、昭和初期頃、度々吉浜の旧「真珠荘」を訪れた。そこの庭に立つ大島桜をこよなく愛し、「吉浜の真珠の荘の山ざくら島にかさなり海に乗るかな」をはじめ、湯河原にちなんだ多くの歌を詠んだ。

湯河原の歴史的な名所

光風荘(二・二六事件)

光風荘
光風荘

伊藤屋旅館別館「光風荘」は、昭和11年2月26日に旧日本陸軍の将校らが「昭和維新」と称して起こしたクーデターで東京以外の唯一襲われた歴史の舞台です大久保利通の次男、吉田茂の岳父でもある伯爵牧野伸顕は、伊藤屋旅館の元別館である「光風荘」にいて、襲撃を受けた。襲撃の責任者 河野寿航空大尉は、偵察のため伊藤屋本館に宿泊。一度東京に戻りますが、兵を連れ自動車で湯河原に入り、夜明けを待って光風荘を襲撃しました。牧野伯爵は、女性用の着物を頭からかぶり、共に宿泊していた妻子や看護婦らと脱出を図り、裏山に逃れました。当時の光風荘は全焼し、現在ある建物はその後に建てられた。